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秋深し 邯鄲の夢

  
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   このまよりもりくる月のかげ見れば 心づくしの秋はきにけり(古今和歌集)
   わがためにくる秋にしもあらなくに 虫の音きけばまづぞ悲しき(同)
   目つむりて邯鄲の声ひきよせし(上村占魚)

 ときに歌集や句集をひもといたとき、「ああそうだ」と思いたち夕暮れに散策すると詠み人の気持ちがより伝わり楽しい。

 月明かりのもと樹木の繁る自宅近くの公園の池沿いの小道をゆっくり歩くと草むらから虫の鳴き声がする。コオロギか、スズムシか、キリギリスか、それともカンタンだろうか。いろいろな虫の透きとおった鳴き声が鈴の響きのように聞かれる。

 ルルルルル……清んだ鳴き声したらカンタンだ。そっと草むらにしゃがみ耳を傾けて鳴き声を引き寄せる。心に染み入るようなほのかな鳴き声で聞いていると無性に故郷が恋しくなり、若いころ過ごした奥飛騨の生家の裏庭でカンタンがしきりに鳴いていたのを懐かしく想いだす。

 カンタンは鳴き声がしてもその姿を見られることはあまりない。何年かまえ一度見たことがある。浅い緑色の細身に薄絹をまとい、見るからに哀れみを乞うようなかよわい姿をしていた。
  
 カンタンの声を耳にすると、わたしは『邯鄲男』の能面を思い浮かべる。眉間にしわを寄せ、思い通りにならない現実に悩む若い男の顔つきが気になるのだ。

 f0255502_14171223.jpgカンタンは、中国では天蛉と呼び、漢字で邯鄲と書く。邯鄲は中国・河北省の地名で直接関係ないが、その美しい鳴き声や短命なことが中国の故事『邯鄲の夢』で語られる「この世での栄華のはかなさ」と通じるものがあるようだ。
 
 この故事を題材とした謡曲『邯鄲』はよく知られる。能面の『邯鄲男』はこの曲に使うために作られた。「人生とは何ぞや」と、思い通りにならない現実に悩む憂愁味を偲ばせる若い男の面だ。

 物語は、蜀の国の青年盧生は官吏登用試験に落ちるなどままならない人生の問題に悩み求道の旅に出て邯鄲の里で泊まる。宿の女主人の勧めで仙人が置いていった『邯鄲の枕』を借りて午睡をとる。すると楚国の王からの迎えが来て、盧生は王位にのぼり、50年の栄華の生活を送った。ところが見たのは、宿の女主人が粟の飯を炊く間に過ぎなかった。

 「百年の歓楽も、命終れば夢ぞかし、五十年の栄華こそ、身のためにはこれまでなり。栄華の望みも齢の長さも、五十年の歓楽も、王位になれば、これまでなり。げに、何事も一炊の夢」と、枕を見つめる。

 そして、「げにありがたや邯鄲の、夢の世ぞと悟り得て、望みかなへて帰りけり」

 この物語を読んで、「ああ、そうか」と悟り、「よくわかる」と納得するのはどうか。いまの時代、一度や二度失敗しても、それで挫折してしまうようでは生きのびられない。一つの夢が破れたら、次の夢に向かってチャレンジしたい。

 芥川龍之介の同じテーマを題材にした短編小説『黄粱夢』の末尾は面白い。

 「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」

 この世に生まれたからには、誰もが「真に生きたい」のではないだろうか。そう願って、日々精進すれば、そのうちすべての人にチャンスが巡りきて、夢は叶う。

 虫の鳴き声を聞いての帰途に、あれこれひとり思い巡らした秋の夜であった。

                        (カンタンの写真は青梅市観光協会、邯鄲男の能面は岩崎久人作)
            
by sunaharakazuo | 2014-10-27 18:43 | エッセイ
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